Side SESSION #9・若手公演

すなあそび

2005/3/9〜13 笹塚ファクトリー

作:別役実
演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ

出演:植木夏十、眼鏡太郎、佐藤竜之慎、皆戸麻衣、廻飛雄、柚木幹斗、白石幸子

<主要な役>考古学者=佐藤竜之慎、考古学者の妻=植木夏十、牧師=眼鏡太郎、医者=廻飛雄、海水浴客=柚木幹斗・皆戸麻衣、看護婦=白石幸子

<メモ>・Side SESSIONとしては「ロンドン→パリ→東京」以来、6年ぶりの公演。笹塚ファクトリーのオープニングアクトの一環として上演される。
・若手のみの出演としては、「カメラ≠万年筆」以来。若手と言っても、出演者はナイロンの本公演での経験を既に数回積んでいる。白石幸子の過去のケラ作品出演は、KERA・MAP#002「青十字」(アナザーバージョン)、トム・プロジェクトプロデュース「狐狸狐狸ばなし」。
・映像化の予定はなし(ほぼ絶望的)。客席数僅か150席程度であり、立見を入れても180人が限界であった。しかも明らかな同業者の動員も多く、純粋にチケットを入手できることができたのは非常に少数であったと考えられる。一般発売はぴあのみで行われ、ナイロンのサイトにおいても先行オンラインチケット販売が行われたが、発売当日ですぐに売り切れた。
・パンフレットの発売はなく、チラシに挟み込まれた形。ナイロンの公演においてこの形態が取られるのはSide SESSION#7「イギリスメモリアルオーガニゼイション」(98)以来。ナイロン発足当時は、パンフレットとは別刷りの挨拶が存在したが、この形態も現在ではもちろん消滅している。
・ちらしのコメントにもある通り、この作品は別役実が「演劇企画集団66」のために書き下ろした戯曲。同劇団はこの作品を88年と99年に上演。99年の公演は、渋谷ジァン・ジァンの最終公演として上演された(演出は共に古林逸朗)。
・セットは砂場(開演時には一つの砂山が作られている)が全体を占め、脚立があるだけの抽象セット。出ハケは上下の後部と、下手の客席後部、上手の客席入り口から。照明・音響の派手な転換は開幕後の一場だけで、それ以外は砂場と上手のござが使われる程度。
・ケラによる純粋な別役作品の演出は「病気」(97)以来。その後「絶望居士のためのコント」や空飛ぶ雲の上団五郎一座での関係はあるものの、まるまる別役作品というのはなかった。
・おそらく演出においては、近い公演の中でも最もナンセンスを指向して作られたもの。もちろん別役作品らしい不条理が全体を包むが、客席内の笑いは「消失」よりも明るいムードがほとんど。ケラの別役作品演出が演劇界に与えた影響が相変わらず大きいことを感じさせる。
・戯曲の構造は、二場である砂場を取り巻く人たちが主体。導入部として、一場の戦争シーンや新興宗教のシーンが追加されている。演出で手を加えたと思われるのはダンスシーンのみだろう(詳細をご存知の方はご一報下さい)。この場面においては、キャスティングが上記の限りではない(兵士=眼鏡太郎、教祖=皆戸麻衣など)。
・以下のコメントは簡易パンフレットに載っていたものを掲載しています。

<ちらしより>「すなあそび」はかつて演劇企画集団66という(今は無き)劇団のために別役実が書き下ろした究極のナンセンス劇。その舞台を観ている私にとっては誰にも知られたくない秘宝の如き名作であった。
埋もれた何かを掘り出そうとする人々の話だが、この作品自体、数多ある別役戯曲群の中にあって誰にも顧みられることなく埋もれていた感があり、それを掘り出してみせるKERAの鋭い嗅覚には恐れ入るばかりだ。
男1とか女2といった記号的な人物ばかりが登場するこの芝居、色に染まり過ぎていない若手俳優に演じさせれば結構イイ味が出せるかも。そんな期待もあり、この公演、文字通り「掘り出し物」である。
ウニタモミイチ

<パンフレットより>『若手』問題
NYLON100℃の若手公演である。
若手公演であるのだが、(当然ながら客演の白石は別として)今回出演する6名の劇団員は、2001年の初頭にオーディションに合格して入団したと記憶する。つまり、もう4年以上ナイロンにいるわけだ。4年以上いる奴らが『若手公演』を行うのは、これはもう異常なのではないか。しかも30をとうに超えた人間が2人もいる。30を超えて若手なのは政界ぐらいのものだ。
前回の『若手公演』はもう10年近く前の夏に行った。あの頃は私にもまだまだ体力があったし、集中力があったし、なにより時間があった。年に4本も5本もの芝居を、ナイロンの公演としてフツーに打っていた。その年の春にオーディションを合格した合計20数名の『若手』達が、『若手』であるうちに大挙して出演することが出来た。
彼らに比べて、今回の、年季の入った若手達には不遇な思いをさせてしまった。ナイロンの公演は今や平均年2本に減り、若手はその2本にすら出られるかどうかわからず、出られたとしてもメインの役をつかむのは至難の技なのである。そのうえ、今年のように、突然本公演が行われない年があったりする。あの頃の若手達は、嫌でも年に2、3本の本公演に強制出演させられていたから、それがトレーニングになった。そこで得たアレコレは彼らにとっても私にとっても、何物にも代え難い財産になっているはずだ。
だからこそ、ずっと、"二代目若手"達の為の芝居を作りたいと思っていた。思ってはいたのだ。それがようやく実現の運びとなったのは、たくさんの方々の御協力があったおかげだ。別役実氏や宮沢章夫氏はもちろんのこと、劇団協議会、シアターリパブリック、他にもあんな方やこんな方の御協力で、この規模の公演にしては信じられないような整った環境で芝居作りが出来た。謝意を表したい。
が、どんなに素晴らしい環境が用意されていても、『若手』にとっての問題は常にたくさんある。『若手』であること自体が問題だと言ってもよいだろう。彼らは今日も悩みが尽きないことだろう。ただひたすら芝居のことだけを考えて稽古に本番に打ち込めればよいが、人生なかなかそうはいかない。もちろん『若手』じゃなくなって同様の問題は抱えざるを得ないのではあるが、私の気持ちとしては、せめて『若手』と呼ばれる屈辱に耐えねばならぬその時期ぐらい、芝居のことだけを考えさせてやりたいと思うのだった。彼らは露骨に反応するから、その反応に私はピクリとなる。一つ一つの台詞に、演出に、ちょっとどうかと思うぐらい敏感に納得し、驚き、悔しがられるうちはまだ充分若手なのだとも思うし、だとするなら、私はこれから主に若手を中心に演出をし、脚本を書いていきたいと思うのだ。
ケラリーノ・サンドロヴィッチ

『すな』問題
ちょっとした児童遊園地にはたいてい、『すなば』というものがあって、子供たちの恰好の遊び場となっている。もっともせいぜいそこにしゃがみこんで、山を作ったりその下にトンネルを掘ったりするぐらいなのだが、そうすることによって『すな』というものの独特の感触が、手や足に記憶されるのであろう。
これは大人になっても消えないから、砂を見るとどうしても、そこにしゃがみこんで触ってみたくなる。裸足になって、足にもそれを感じさせてみたくなる。しかし、それ以上は、どうしようもない。山を作ったり、その下にトンネルを掘ったりするレベルはとっくに過ぎているから、もっと成人向きのことをしてみたいのだが、そんなものはないのである。
水着の女の子をそこに寝かせて、上から砂をかけるというやり方もないではないが、やってみるとよくわかるように、楽しいのは『すな』の方であって、寝た女の子でもなければ、それに砂をかける我々でもない。我々が時に『そうしてみようか』と思いつくのは、そうしたら楽しいであろう『すな』に、暗にそそのかされているに過ぎないのだ。
子供のころ我々に植えこまれた『すな』の独特の感触というものは、我々が『すな』に触っているのか、『すな』が我々に触っているのかわからない、ということからくる奇妙さに由来するものと言っていいだろう。そこで、主客が転倒するのである。
ということで、我々は気付く。子供のころ、我々が『すなば』で遊んだ時、実は我々が遊んだのではなく、当の『すな』の方が遊んだのであり、我々はそれを手伝わされたに過ぎなかったのだということを。
これが、我々にとっての『すな』問題である。『すな』は我々を遊ばせてくれない。我々が『すな』に遊ばされるのである。そしてそれを、我々は止めることが出来ない。『いいじゃないか』という人もいる。『そしてすなが楽しければ』と。しかし、私は心配している。そんなことをくり返しているとそのうちに人は、自分自身を『すな』に埋めてみなければ、自分が自分であることを確かめられなくなるのではないか、と…。
別役実

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