大倉孝二
KOUJI OHKURA

<所属>キューブ

<参加経歴>95年にオーディションに合格、「ウチハソバヤジャナイ~Version 100℃~」よりナイロンに参加

<メモ>・1974年7月18日生まれ。
・今や押しも押されぬナイロンのトップ俳優。小劇場界の旗手としての俳優の認識も強く、少し前なら「ナイロン=犬山」「ナイロン=みのすけ」と思われていたものが、今では「ナイロン=大倉」と思っている人も多い。「ハルディン・ホテル」までナイロン作品23作品に出演。
・個性的な顔立ちだが、そのことについて芝居の中でいじられることはほとんどない。むしろそれよりも、身長187cmという、日本人では考えられないほどの背の高さをネタにされることが多い。
・基本的にボケ・つっこみ共にこなす名優だが、どちらも技術的にあまりにも優れているため、ケラは積極的につっこみ役を回している。それはひとえにつっこみの方が技量が必要とされるからであって、これを十二分に味わうことのできる近作に「絶望居士のためのコント」の中の「反古になる誓い」。
・参加初期はどうしてもボケ役が多く、本人の魅力を知らしめたのはむしろそちらであろう。一般的には「ビフテキと暴走」の老人、大田黒正三役が評価を得た役とされている。
・手塚とおるが去った後のナイロンで、アクの強い俳優として育ったという印象。ナイロンになってから実質的に成長したのはこの95年のオーディション合格者であると言われているが、当然そこからもれてしまった俳優も多く、ケラはむしろ今津登識や宮本雅通に期待していたようだが、結果的に一番大きな成長を遂げたのは大倉孝二であった。
・当初、彼のポジションは非常に微妙で、デビュー作である「ウチハソバヤジャナイ」のゲロ事件に見られるように、ナイロン全員を敵に回していたという記録がある。だが、3作目の参加となる「アリス・イン・アンダーグラウンド」で既に、ケラ作品の魅力を存分に引き出す役目になっており、観ている側からするとあっという間に大きな役をつかんだイメージがある。
・オーディション参加時には「好青年」と捉えられていたらしく、当時のナイロンの俳優は今では全員「俺が入れてやった」「私が入れてあげた」と口にしている。あまりに多くの人がそう話すため、実際誰が彼を入団させたのか、全く定かでない。
・ケラが大倉孝二自身に当て書きを始めたのは「フランケンシュタイン」のクリーチャー役。確かに彼でなければ演じられない役ではあるが、芝居そのものに大きな影響を及ぼしていた役という印象はあまりない。主役級の役は数々演じているが、クレジットとして主役になったのは「東京のSF」と、かなり遅い(そしてその後もない)。
・あまりにも多くのファンがついてしまったため、ケラが最も嫌うであろう「出笑い」をされることも少なくない。「ナイス・エイジ」辺りから出笑いが発生するようになり、ケラは彼の登場シーンに非常に気を遣って書いている印象を受ける。
・非常に大きな役や感情の起伏の激しい役をやっているにも関わらず、カーテンコールではいつも不愛想。お辞儀も仕方なくやっている感じで、めったに笑顔を見せることがない。そんなギャップも、大倉ファンにとってはたまらない。
・ナイロンのSide SESSIONの性格を最も的確に決定づけた。大倉自身が作・構成・演出・出演をこなした作品に「イギリスメモリアルオーガニゼーション」。まさに「ケラが書かないナイロンの作品」という一つの方向を決めた作品。この作品によって彼の笑いのキャパシティは圧倒的に広がった。
・ナイロンの中では当然「重要俳優」としての認識が強く、近作の大役に「消失」のチャズ役。長い間、長身で痩身を生かした「クネクネ芸」が彼の持ちネタになっていたが、この作品で彼はその芸を敢えて完全に封印し、ナイロンの中で「ストーリーの骨格を背負うことのできる俳優」という認識を全国ツアーでも知らしめた。「ナイロンでは普通の人間が充てられることはまずない」(KOKAMI@network「プロパガンダ・デイドリーム」パンフレット)と言っていたのが、僅か5年で急成長した。
・台詞を独特の間で話すため、何でもない台詞が、彼の肉体を通すことによって爆発的に面白い台詞に変わることもしばしば。俗に言われる「笑い待ち」を自然体で演じきるため、生み出される笑いに全く無駄がない。
・ナイロン作品の一つの魅力に、必要のない部分での笑いがあるが、長い間これを全面的に背負っていた。ストーリーを進める役回りになったのは「薔薇と大砲」前後で、それからは話の骨子を引っかき回しながら収斂させていく、非常に難易度の高い役を演じることが多くなる(そして、そんなことのできる役者は、そうそういない)。
・映像作品への出演が目立つようになったのは、映画「ピンポン」(原作:松本大洋/脚本:宮藤官九郎/監督:曽利文彦)へのアクマ役での出演。本人自身卓球を得意としており、非常にはまった役になった。これ以降、彼のスター性の認識が広がり、大作にどんどん出演するようになる。同じ宮藤官九郎脚本作品への出演にドラマ「ぼくの魔法使い」(日テレ/共演:伊藤英明、篠原涼子、西村雅彦、阿部サダヲ)。
・三谷幸喜作品への常連としても知られており、舞台「彦馬がゆく」の伊藤俊輔役で初出演。以降、04年の大河ドラマ「新選組!」まで、その出演は継続的に続いている。現在では数多くのバラエティー番組に出演。即答を求められるタイプの番組でも才能を十二分に生かしている(テレビのバラエティー番組のメインレギュラーを張った経験があるのは現在のところ彼のみ。ポジションとしては八嶋智人のそれに近い)。
・健康時代の三宅弘城と同じく、長い間若手として扱われていた(観客もそう思っていた)ため、ナイロン作品での欠番はほとんど見られなかったが、最近では犬山イヌコ、みのすけと並んでナイロンの主要俳優になったため、彼の出演・欠番が作品の性格を大きく変えることが多くなった。例えば「ドント・トラスト・オーバー・30」に彼が出演していたならば、かの作品の性格は大きく異なっていたであろう(おそらくあの台本では、彼の居場所を作るのは難しかったに違いない)。04年の「男性の好きなスポーツ」も、ナイロンの男性キャストはほぼ出ているにも関わらず、出演はない。
・他の外部出演作品に、パルコプロデュースの「人間風車」や「ダブリンの鐘つきカビ人間」など。特に後者は堂々たる主役。役柄としては前述のクリーチャーを想像しなくもないが、彼の凄腕を感じ取ることのできる名作。野田秀樹作・演出の「贋作・桜の森の満開の下」にも犬山犬子と共に出演。

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